吉田誠『戦後日産労使関係史』書評(JIL雑誌)

　著者の吉田誠は、『査定規制と労使関係の変容　全自の賃金原則と日産分会の闘い』（大学教育出版、2007年）で、1952年秋の賃金闘争で示された全自（全日本自動車産業労働組合）日産分会の賃金原則について、当事者であった浜賀知彦氏の秘蔵資料（浜賀コレクション）をもとに、その生活保障原則と同一労働同一賃金原則の関係について鮮烈な歴史認識を提起し、高い評価を得た。本書は引き続き、浜賀コレクションをはじめ多くの資料や聞き取り調査をもとに、それに先行する終戦直後期から1949年の人員整理、そして1953年の賃金闘争後の解散に至るまでの全自日産分会の歴史を、従業員共同体意識と女性の排除という二つの視角から描き出している。70年以上も昔の話でありながら、現代日本の雇用社会のあり方にも直結するテーマであり、いわば日本型雇用システム形成秘話とでもいうべき作品となっている。

　全体は大きくⅡ部に分かれる。第Ⅰ部は、日産の従業員組合が戦時中の産業報国会とも連続性を持つ経営内存在として生み出され、会社共同体意識に基づいて生産復興による会社再建を最優先してきたにもかかわらず、ドッジラインによる人員整理に裏切られていくまでの姿を描いている。第Ⅱ部は、その人員整理において女性労働者が主たる対象として解雇され、その後臨時工が活用されていく姿が描かれる。前者において、終戦直後の労組主導型企業共同体意識が、いったん経営者側の闘う姿勢によって拒否され、上記全自賃金闘争などの激しい闘争をくぐり抜けた後に、今度は経営主導型で再構築されていくという曲がりくねった歴史が描き出されるのに対し、後者はその後半世紀以上にわたって日本型雇用システムを特徴付ける男性正社員主義の形成秘話といえよう。

　以下、各章ごとにその内容を略述する。第Ⅰ部では戦後初期日産労組の経営内組合ぶりが繰り返し強調される。まず第1章は、日産労組がブルーカラーとホワイトカラー両方からなる社工員一本化で結成されたいきさつについて、工員主導との通説を否定し、工員のみの組織化が進められている中で、それを察知した会社側が社員に働きかけ、社員主導で穏健な従業員組合が結成されたこと、会社を財政協同体と見なす考え方から賃金のプール制が導入されたこと、その背景には戦時中の日産単位産報の経験があったことを明らかにしている。第2章は、諮問機関としての位置づけでスタートした経営協議会が、混乱した生産状況の中で、会社再建のために経営協議会を通じた生産復興に乗り出さざるを得なくなり、社員層が組合を通じて会社再建を担う「合法的生産管理」(益田哲夫)が行われるとともに、11月闘争を経て労組が闘争的になり、社長の経営責任を追及して経営陣の交代を実現するに至る経緯を描いている。第3章では、日産労組がトヨタとともに全自という産別組織の結成に向かい、そこで総同盟路線に従って自動車産業復興会議の活動に力を注ぐが、片山内閣の1800円ベースという賃金抑制策の前に方針転換を迫られる。とはいえ、この時期はまだ会社と労組の関係は良好であった。少なくとも労組側は進歩的経営者を信頼していた。それゆえに第4章で描かれる賃金半額払いの提案も、益田組合長同意の下で実施された。しかし、過分な経営者への期待は徐々に崩れていく。第5章では、1948年協約は会社側の同意約款破棄提案を組合側が押し戻したとの通説に対し、会社再建における組合側の協力を取り付けたことを強調する。1949年の人員整理直前までを扱う第6章でも、賃金3原則や経済9原則が打ち出され、ドッジラインによる不況が深刻化する中にあっても、組合はなお会社との協調姿勢と対立姿勢の間を振り子のように揺れ動きながら、決定的に敵対することを避け、「生産復興闘争」を掲げて、コスト削減のための残業代削減に会社との協同作業に努めていたことが示されている。

　この組合の協調路線が挫折するのが1949年の人員整理であるが、ここから本書は分析の視角を切り換え、第Ⅱ部では男性正社員中心型の戦後日本型雇用ポートフォリオが、この人員整理とその後の動きの中からいかにして創出されていくかを微視的に描き出していく。まず第7章では、終戦直後の日産の人員体制では女性も採用の対象とされており、性別職務分離を前提としながら女性労働力が活用されていたことが示される。それが大きく転換するのは、1800人超が解雇された1949年の人員整理であり、第8章ではこの時大量に解雇されたのは主として女性労働者であったことが明らかにされる。これまでの研究が共産党員などの解雇に注目していた視座を大きく転換する本書の白眉であろう。なお続く補章では、ドッジライン下の解雇において、アメリカ型の先任権（「勤続年数浅きもの」から解雇）が日本に移植されようとしていたという、一件トリビア的だが、実に興味深い指摘がなされている。日本型雇用システムの特徴たる勤続年数の長い中高年からターゲットにされる慣行とは正反対の基準がGHQの奨励により一時的に導入され、それによって長期勤続の男性が解雇から免れ、その数年後に「終身雇用」「年功」等の日本的経営の特質とされるものが「発見」されるという皮肉極まる経緯は、日本型システムの出生の秘密を問わず語りに語っているように見える。

　この後、朝鮮特需に対応するために臨時工の活用が本格化していくのだが、第9章ではその前段として、人員整理以前の日産の臨時工の位置づけを確認している。1948年協約で除外規定の対象とされたのは「季節工、日雇、その他臨時に雇用された者」であったが、この時の臨時工は米軍自動車の再生作業だけであった。しかしこの小さな「穴」が朝鮮特需に対応するために大規模に活用されていくことになる。第10章は大量に導入された臨時工の本工との賃金格差の実態を詳細に計算し、組合員から除外された臨時工の低賃金を示している。これに対し全自日産分会が繰り広げた臨時工の本工化闘争を描くのが第11章である。当初臨時工を組合にとっての脅威と捉えていた全自日産分会は、現場で臨時工と交流する組合員たちの声に基づき、処遇改善と本工化の要求を掲げ、実際に本工化を実現させていく。その背景として吉田は本工と臨時工に入職プロセスに大きな差がなく、労働者の同質性が高かったことを挙げる。後の非正規問題との違いがここにある。これのコロラリーとして、1949年人員整理でいったん解雇され有期雇用の嘱託という身分として再雇用された福利厚生担当の転換嘱託の身分復元闘争が第12章で描かれる。

　労働者を会社という共同体のメンバーと考える思想は誰が生み出したのか？それは労働組合の側であって、会社側ではなかった、というのが、本書第Ⅰ部のメッセージである。工職混合の従業員組合として、工員と職員の平等化、処遇制度の統合を進めながら、生産復興を通じた会社再建を目指した組合は、会社共同体の共同リーダーとして、経営陣が大量生産への早期復帰を目指したことによる生産の混乱を収拾し、経営に失敗した社長の交代を実現し、その下での労使協調を目指した。にもかかわらず、会社側はドッジライン下における大量解雇という形でその期待を裏切った。吉田はいう。「この蹉跌により、新たな組合の方針はもはや生産復興による会社共同体の再建とするわけにはいかなくなる。これまで生産復興のスローガンの下に抑制されてきた現場の不満や困難の解決に取り組むことこそが新たな組合復興の鍵となる。そして、その実現手段としてストライキを用いることも、今や生産復興という旗を降ろしたことにより、躊躇することではなくなっていた。日産の労使関係に関する先行研究が注目してきた職場闘争や組合規制に取り組む組合像は、こうしたプロセスを経て形成されてきたのである。」これは日産というミクロの場のみで起こったことではない。経営協議会を通じた生産復興路線を進めてきた総同盟の高野実が、職場闘争を唱道する総評の高野実となっていくという形で、マクロ社会的に生じていた転換でもあった。

　これを裏返していうと、1940年代後半から50年代前半期において、「組合が目指してきた従業員共同体としての会社という観念を経営側がまだ保持していなかった」ということになる。この時期の日経連は「経営者よ、正しく強かれ」というスローガンの下、共同体としての雇用保障や生活保障給に対しては極めて否定的であった。ドッジライン下の人員整理とは、経営者には解雇権があるということをいやが上にも顕示するものであったのだろう。春秋の筆法をもってすれば、経済同友会の企業民主化構想という会社共同体路線を否定する日経連の「闘う経営者」路線が経営側で制覇したことが、共産党系の産別会議を駆逐して穏健化したはずの組合側において会社共同体路線を断念した職場闘争路線を生み出したということになろうか。

　その後日談は本書ではなく、前著『査定規制と労使関係の変容』の第7章「全自解散前後の日産における労使関係」に描き出されている。1953年争議における日産分会の敗北、1954年の全自の解散、そして1956年の分会解散とともに、職場を制覇した新たな日産労組は（再び！）「復興闘争」という名の活動を開始する。それは、整理解雇の回避を至上命題とし、「日産魂」を鼓舞しながら、組合活動の一環として時間外の改善活動を推進するものであった。前著で否定的に「会社の業務と組合の活動とが融合・癒着するようになった」と描写されている姿が、本書第Ⅰ部で描かれた「合法的生産管理」の輪廻転生に見えてくるのは評者だけではあるまい。